◆東大2024HCD・赤門技術士会講演会聴講記◆

☆このレポートは、去る2024年10月19日(土)に赤門技術士会主催で開催された講演会の聴講記です。

 

2024年度東京大学ホームカミングデイ・赤門技術士会講演会

「場をつくる工学」 聴講記

 

 例年なら秋真っ最中のはずなのに、東京地方30℃越えの暑さの中、今年のホームカミングデイの講演が間もなく始まる。「建築家は、屋根を作っているわけでもなく、柱を作っているわけでもなく、場をつくっている」という旨の興味深いテーマ。さっそく川添善行先生がご登壇。 お鬚にいずれも黒のTシャツとパンツ。これまた、街ですれ違っても、東大の先生とは見えないかも。 そして講演が始まる。 講演が終わったら、今日から海外ご出張だって! 超お忙しい先生。〕

 

1. 自己紹介

准教授として駒場の生研(東京大学生産技術研究所)でデザインの研究をしている。安全で使いやすく、人の感性に応えることを目標にしている。それを好きになってもらうため、脳波を使って研究している。同時に、「空間構想」という一級建築士事務所をやっている。

研究では、初学者にとって、デザインに対する評価がわかりにくかったが、居心地よい、美しいなどを脳波で客観的にとらえようとしている。家、オフィス、工場、電車、自動車などの人工環境で暮らすのがほとんど。にもかかわらず、重要性が語られていない。そこに問題と可能性がある。人生の90%を過ごす人工環境をどう設計するか、というのが我々のテーマだ。

[確かに、縄文時代ならともかく、現代はほとんど人工環境の中で暮らしている。]

一級建築士事務所に関しては、建築士というより建築家を名乗ることが多い。建築士は試験に合格したということで明確だが、建築家はややグレー。建築家とは、単なる資格にとどまらず、プロジェクトをマネジメントできるなど、いろいろなものを含んでいる。

[我々でいうと、「技術士」と「技術屋」か。 「技術屋」ではちょっと狭い? 技術家とは言えないし。。。。]

2001年工学部建築学科を卒業し、オランダ留学でデルフト工科大学に。オランダは干拓でできた国土で、人間が管理している自然。したがって町のでき方が日本と異なる。そのようなオランダで人環境と自然との関係を学んだのち帰国、社会基盤(土木)学科に入りなおして博士号を取得した。建築と土木の両方を学ぶ人は少ない。その後、生研の土木学で助教、2011年より生研で研究室をスタートした。

[この時の先生は32歳の若さだったので、いまだに「若手」として飲み会の幹事をされたりするそう。]

図書館などの設計ののち、和歌山県の集落に生研の分室を設置。これら二つの研究室では「脳波を使ったデザインの価値評価」と「人口密度の低い地域の研究」をしている。

一方、設計事務所の方では、山口県の蔵元「獺祭」の蔵を設計中で、2028年ごろ完成予定。

                      [こりゃぁ、完成したら見に行きたい!]

 

2. 建築学とは

まずは、歴史。

工学の中において、建築学は「歴史」が重要なウェートを占める。例えば、白い建造物を作ろうとするときに、それが人類の歴史の中で、どのような意味を持つかがわからないと設計できない。その中でアーチ状の空間を作る、といったときにローマとビザンチンのそれぞれのアーチと何が違うかがわからないと、自分が作ろうとしているアーチが定義できない。

[歴史との関係性が重要とは、筆者の専門である経営工学とはだいぶん違うね。

「芸術」の要素が入っているからかな?]

次に「構造」。

構造は力学的なもので、コンクリート造か、鉄骨造か、木造か、石造か、それがどういう力の流れで成立するかを理解しなければならない。

「設備」。

空調や電気、最近で情報も不可欠。

「構法」。

設計図だけでは建築物はできない。作り方は工場で作るかオンサイトで作るか。作り方によって、設計も変わる。

「意匠」。

デザインのことを学会などでは、こう呼ぶ。

 

3.場をつくる工学とは

「場の特性を読む」と「場の形を探す」だ。

この「真夏の新宿駅の写真」の通り、人は日陰に入る。日本は世界で有数の技術大国なのに、多くの現代都市では夏場の日なたで暮らすことができない。その結果、涼しいコペンハーゲンやニューヨークのように、「公園を整備して、外で過ごしましょう」というような都市設計が成り立たない。 

都市設計において建築が主役になってはいけない、という議論があるが、まだ定着には至っていない。建築家は皆、賞を受けたいので他とは違う建築を設計しようとするが、「それで都市設計ができるか」、という問題もある。自分の著書「Overlap」では、建築と都市の関係を見直すべきだ、ということを述べている。また同じく訳書「Experience」では、デザイナすなわち建築家が考えていることではなく、そのデザインを体験している人がどう感じるかが大切、と述べられている。

〔ちょっと哲学的にもなってきた。〕

 竹富島での研究例でいうと、ここは非常に美しい町並みがある。

は台風が直撃する「場」で、強い風から自分たちを守っていかなければならない。次に大変暑いので、涼しく暮らす工夫が必要。さらに、文化庁が定めた「重要伝統建造物の保存地区」なので、古くからの街が残っている。このような「場」から考えて、「風から守るとともに、風を使う」という風に対して矛盾した機能を持っているのではないか、との仮説から研究を始めた。

実際の街並みについて、の高さ、屋根の高さ、家々の大きさ、などなどを実測したうえで、仮想空間で村を再現したうえでシミュレーションにかけたところ、何かの高さを変えたり、樹木の位置を変えたり、道幅を変えたりすると、必ず先ほどのどちらかに問題が起こる。すなわち、風の乱流が発生して屋根に応力が集中したり、多くの建物の中に風が入らなくなったり。はじめに見た美しい町並み・風景には、この竹富島の「場」において、町の作りの必然性がある、ということが判った。離島で手に入る限られた素材だけを使って、風から身を守りつつ風をつかうという矛盾した環境の中で生き残っていく工夫が、今の風景になったのだ。このように村の形の意味やメカニズムが判ると、「ただ美しい町並みをのこす」だけではなく、そのメカニズムも残して街を作る必要がある。

[必然的にできた街並みなのに、それを我々が「美しい」と感じるのは、実に不思議。]

 

4.東京大学図書館

旧帝大図書館は関東大震災でほぼ全壊。スタジオジブリ映画「風立ちぬ」の冒頭で図書館が燃えるシーンがあるが、この旧図書館がそのモデル。その後すなわち約100年前に再建された図書館本館を今回改修し、さらに前庭の地下に別館を新設した。

(1)本館の改修

改修においては、「何を残すか」を決めることが必要で、決まればおのずと「何を作るか」が決まる。残すことを判断するためには、その価値を知る必要がある。設計にあたって、「モノとしての価値」、「コトとしての価値」の二つの評価軸を設定した。モノとしての価値は比較的わかりやすく、「立派な素材を使っている」、「手の込んだ装飾」、など。一方、コトとしての価値は、例えば部屋ごとにそこで行われた出来事をプロットしてゆくと、出来事が多い部屋が判ってくる。例をいくつか挙げる。

A.入口玄関の石は、100年前の発注記録が残っているが、その発注先の地域の採石が既になくなっていたので、そのまま使うことにした。

B.入口入って左側の部屋は、太平洋戦争における学徒出陣の出陣式で使われた。徳川最後の将軍慶喜の書の額もある。そこで、円形の緻密なフロアリングの床はいまではとても作製できないのでそのまま。シャンデリアは写真から復元して再生したが、中はLEDのレプリカ。窓サッシは、創建当時の鉄製から同じ太さのアルミサッシに変更し、形は同じだが、素材は違う。

サッシの周りの煉瓦はひっかき傷が入ったように見えるスクラッチタイル。旧帝国ホテル(現在は明治村に保存)が、偶然かもしれないが、震災で壊れなかった。それが伝説的に伝わり、震災直後は盛んにスクラッチタイルが使われた。これらは終戦前の空襲でほとんど消滅したが、本郷は、意図的に空襲されなかったのでスクラッチタイルが残った。

C.階上へ上る階段。創建当時は石造りのままだったが、後に赤絨毯が敷かれ、「絨毯敷き」がすでに皆の心に残るようになっていたので、絨毯そのものは新調したがこれを継承した。

D.3階の照明は、照度アップした。別の折、生協の改修時にそこにあったアート作品を廃棄したため、「東大はアートを捨てる」というネット炎上がかつてあった。それ以降の改修であったので、壁面にある円形レリーフ等のアート作品は残した。そのため、同時に実施した耐震改修は、通常、はすかいに筋を入れるなどするが、ここでは壁の厚みを増やすなど、アートを邪魔しない工法をとった。

E.柱と天井を結ぶアーチ部分に、オーナメントとして植物が多く彫られている。分類学のベースとなっている植物を博物館で使用するが、その流れかもしれない。アーチ部分は構造体ではなく、天井の一部。2011年の東日本大震災では天井がよく落ちた。天井は付属物だったので強度計算がなされず、安全性能がチェックされなかったが、この機に特定天井として安全性を検証するよう、法改正された。そこで、GRC(ガラス繊維強化セメントコンクリート)で天井を作り直した。植物のオーナメントは、剥がして再度使った。

F.閲覧室の壁・柱は改修工事前にはピンク系の壁の色だったが、表面を削って百年前の塗装にたどり着いたら、淡いベージュ色だったのでそのように戻した。

G.一階奥にあって、学生証がないと入室できない「秘密の図書室」。床は厚いガラスで、今ではそんなことはしないが、100年間大丈夫だったので、ガラス床そのままとした。

 

(2)館の新設

前庭の地下46mに館を新設したが、本館と一体建築にすると本館部分が消防法上認められなくなるため、別構造とした。具体的には、本館から前庭に降りる正面階段は新館の一部として設置し、その最上段のところで本館とわずかな隙間で切り離された構造。このため、本館の入り口階段見える構造物の下は空っぽ。

地下空間は、通常の壁厚の外側に、壁厚2.5mの補強壁があり、両者の間のスペースが外と中の空気の緩衝地帯となっている。中は自動化書庫になっていて機械本棚があり、300万冊を収蔵可能。

構法としては、通常構法である「穴を掘ってから中に建造物を作る」方法が地下50mにもなると使えないため、ニューマチック・ケーソンと呼ばれる方法を採用した。すなわち箱状の躯体を作ってその下をリモコンショベルで掘り、躯体が落ちてゆくにしたがって、躯体の上部を足していく、というやり方。

地下一階は800㎡のワンルームで、図書館ながら本がない円形スペース。図書館において、かつては図書の中から新しい知識を得ていたが、現代ではそれだけではなく専門横断的なかつ水平的な対話から新しい発想が出てくる。そんな会話やディスカッションができるような場としている。

[まさに、「場をつくる」だ。]

真ん中の上部、すなわち地上にある噴水は残すが、底にアクリルの蓋をして、地下一階への採光としている。

一方、この工事中に震災で消失した旧帝国大学時代の図書館の基礎が出てきた。震災後の再建時にぐるりの基礎を撤去するのは手間がかかったので、その真ん中に噴水を配した。その結果、図書館の中心が決まり、キャンパス全体のレイアウトが決まったので、この歴史をのこし、基礎を残した。震災の前後でキャンパスの歴史が分断されたと先に述べたが、これによってつながっていた。具体的にはベンチとして噴水の周囲の同じ場所に残した。ベンチとしては大きいので、ここに来る人たちが寝転がったり、将棋したりしている。

[外から見ただけでは、決してわからない、東大図書館の今!]

 

5. インド工科大学ハイデラバード校(デカン高原の上)

2008年に設立、学生数約3000人、キャンパスは234ha。第一次安倍内閣のころに日印共同声明を結んでいくつかのプロジェクトが進められた。この中でムンバイの地下鉄などとともに、ハイデラバード校を立ち上げこととなり、外務省とJICA(ジャイカ:国際協力機構)がハンドリングした。

[そんな中、藤野先生(橋梁の大家)が大野先生と川添先生に声掛けがあって、プロジェクトが進んだ。]

(1)東大図書館と同じころにインド工科大学の図書館を設計した。ただし、単なる図書館ではなく、ナレッジセンターとして、本だけではなく、あらゆる知識を入れる場所にしたい、との望があった。そこで様々な知識を俯瞰できる「知識の谷」のようなものを作ることを目指した。

材料としては、木がない、鉄は高い、一方、コンクリートはローカル素材で手にるので、ほぼRC(鉄筋コンクリート)で構築した。屋根は4枚のシェルの組み合わせ。

(2)もう一つ、インキュベーションセンターの設計も行った。 

こちらも現場打のコンクリート構造で、インド工科大と日本のスズキのジョイントラボが入った。NTTも入っている。設計して渡したら、もう一つ作ってくれと言われ、まったく同じものがつ建った。完全コピーの面白い例。

さらに日印交流を進めようと、今日これから空港へ向かいインドに行く。

[設計が「場をつくる」にとどまらず、大学間交流、国家間交流につながっているとは!]

 

6.ダイニングラボ 食堂コマ二

生産技術研究所の食堂として、食堂をもう一度考え直すことにした。皆忙しくなり、各種工学の横のつながりが難しくなる中、食べる場での交流でつながりをとることを目指し、食事は食の専門家に自然素材を中心とした料理の提供を依頼した。設計の詳細について今日は省略するが、学食とは思えないいい場所になっていて、ランチタイムはにぎわう。食事をおいしくすることだけではなく、研究者相互のアポなし会話、産学連携の活動、自治体との連携など、「外と中」を結んで研究活動をエンカレッジする場提供している。

[これもまさに、「場をつくる」だ。]

 

7.東尋坊グランドデザイン

2028年完成の予定で、東尋坊を中心とした街のグランドデザインを進めている。

背景としては、今年3月16日、北陸新幹線が敦賀まで延伸した。これまでの新幹線開通駅をみると、新幹線が来て人口が減ったところも多く、その地域に魅力があるかどうかによる。

福井県の観光の中心は東尋坊で、かつてののどかな場所から人工物が次第に増えていった。自然と人工物のやや矛盾したものになっている。そこで、人工物を一部削減して、東尋坊に続く商店街を短く、かつ線から円へと変更して、回遊できるようにする。円の中に、ミュージアムや商店を新設して、新旧混在の商店街に。

水平線を望む東尋坊の先端には、屋上が広場になっている展望台の施設を設置しようとしている。その下には、観光客の居場所があって、東尋坊の景観を作り出している「柱状節理」という地質上の特徴をわかりやすく伝えようとする「地質をテーマにした場」をつくる。福井は西向きの海岸があって、夕日が資源で、アジアの中では少ない強み。そこで、飲む、泊まるなど、夕方にいかに滞在してもらえるかが今後重要である。

この地域でやろうとしていることをまとめると、こんな感じで、単独ではなく統一的に進める。

(1)環境価値の保存と展示・・・・・・・自然(例えば柱状節理)を主役とする地域計画

(2)歩行者ネットワークの再現・・・・既存の商店街と新たな施設を接続した回遊性

(3)繋がるパブリックスペース・・・・・屋上広場など、各所に広場

(4)滞在体験の編集・・・・・・・・・・・・夕日を眺める視点

[地域創生は、筆者の専門である経営工学でも大きなテーマだ。]

 

8. 場をつくる工学とは

「一般解となる技術を組み合わせながら、特殊解となる場所性を生み出すこと。」

使う個々の技術はコンクリートだったり、シェル構造だったり、一般的な技術であるが、全てを一般解としてしまうと、同じような建物・街・景色になってしまう。そこで、これら一般的な技術を使いながら、どうやって特殊的なものに仕上げてゆくのか、が今やっている課題なのだと思う。

〔おー、これが今日の結論だ!〕

  

【ご講演後の質疑応答】(Q:質問、A:応答、C:コメント)

Q1: 東大図書館の地下空間について、50m掘り下げた時の地下水に対する苦労は、浮力は?

A1: 三四郎池がとなりにあって、地下水位が7m。したがって、図書館新館はほぼ水に浮かんでいるイメージ。このためコンクリートの防水が非常に重要。通常は塗膜防水だが、傷がついてしまうのでこれが利用できず、50×30mの空間の外側に厚さ6mmの鉄板を貼り付けて防水構造とした。6mmの所以は最も厳しい条件で腐食が年間0.03mm進むので、その200年分とした。

   浮力に対しては、アンカーが打てないので、重さで押さえている。すなわち、強度だけならそこまでの必要がない壁厚2.5mとした。

 

Q2: 東尋坊の近くの港とのリンクはどうか?

A2: その港である「三国湊」は大事で、公共交通のハブにしていこうとしている。そのための情報発信のインフォメーションセンターも考えている。東尋坊が整備されて人が集まれば、ローカル交通も増える。

 

Q3: ルイスカーンの言葉で、「創造は逆境の中でこそ見出される」というものがあるが、制約は実際にはマイナス要因にみえる。今日の講演でも制約から個性が生まれると感じたが、設計にはプラス要因になるか?

A3: 現在進行中の別プロジェクトでは、コンペの時と実際の制約条件が全然違うことが判り、設計をやり直している。制約を含めて「個性」であり、制約はプラスに考える。制約が全くないと逆に難しい。今日の議論でいえば、一般解にしかならない。羽田空港の日本村は典型、逆に更地の「お台場」で街を作ろうとすると、難しい。

 

Q4: 品川から東京駅にかけて、高層ビルが建ち並んでいるが、あの風景をどう見ているか?

A4: 「将来どうやって解体するか?」を心配している。都市再生などにおいては、容積率を増やさないと、解体費が出ない。あの高層ビルは次の建て替え時に、容積率が増やせるか? 誰が解体するか? と。

 

Q5: 設計に水の概念を取り入れているか?

A5: 水については、結構怖いという側面がある。例えば、現在の研究室は、大雨で雨漏りするので、そこはPC置かないゾーンにしている。設計事務所の方も水道管が破裂して大変だった。これらは極端な例だが、いかに水を防ぐかは大切なテーマだ。「ヒロシのぼっちキャンプ」も水との闘い。人類にとって必須なのに、水害も含めて闘わなければならないのは、不思議な距離感だ。

 

(赤門技術士会幹事 萩野 新)