◆東京大学史料編纂所&総合図書館見学会聴講記◆

☆このレポートは、去る2025年3月1日(土)に赤門技術士会主催で開催された見学会の聴講記です。

 

 

  〔工学部出身の筆者は小中高大と社会科 特に歴史は大の苦手で、「啼くよ(794年)ウグイス平安京、いい国(1192年)創ろう鎌倉幕府、一路雄々(1600年)しく関ヶ原」、と覚えるのが精いっぱいだった。(今では「鎌倉幕府」は違うらしいが。) ところが年齢が半世紀を過ぎたころから、「いま在る自分はご先祖様DNAの積分値」の哲学的境地にたどりつき、歴史への興味が湧き出している。もうちょっと学生時代に勉強しておけばよかった・・・・。 で、今日は、史料編纂所長 尾上先生のご講演と史料見学、そのあと総合図書館見学。赤門技術士会見学会としては、いままで理科系が中心で、はじめての文科系施設。楽しみ!〕

 

Ⅰ.講演「東京大学史料編纂所の概要」

 

1.尾上陽介先生のご経歴

 

  1963年京都府のお生まれ、1987年3月早稲田大学ご卒業後、同大学院博士後期修了。1992年編纂所助手、2016年同所教授、2024年4月同所長。

  現在、史料編纂所の所長および前近代日本史情報国際センター長。ご専門は古代中世古記録の史料学的研究および平安時代官僚制の研究。

  [近年の著書だけでも、ここには書ききれないほどで、さかのぼれば、きっと相当な数の著書を世に出していらっしゃるのだろう。すごい。]

 

2.史料編纂所の概要

 

(1)編纂所独自の研究

  同所のミッションは古代から明治維新までの資料を集めて研究、資料集として編纂、出版すること。これをもって日本史の研究を支えている。

  具体的には、史料の①採訪、②整理+研究、③編纂+出版を行う。

  [採訪? どうもこの世界では民家・資料館・神社仏閣などに保管されている史料について、そこを訪れて写したり譲り受けたりすることを「採訪」と称するらしい。]

  保管している史料としては、原本としては国宝1点、重要文化財20点。写したものは18万点で、そのうちすでに原本が喪失されているものも少なくない。

  [国宝は、「島津家文書」。いわずと知れた薩摩藩島津家に伝わるやつ。1点というから、巻物一つかと思ったら、なんと848巻、752帖、2689冊、4908通などなど、単位がよくわからんが、とにかくものすごい数だ!]

  組織としては、教授などの教員、事務職員、技術職員合わせて、現在約70名の職員が在籍。明治期より150年にわたって、1200冊以上出版してきた。現在ではWebサイトでもデータベースとして公開している。

 

(2)外部資金による研究

  外部資金として、科学研究費補助金(科研費)、寄付金なども活用し、さらに日本学術振興会の受託事業としてスタートした「人文学・社会科学データインフラストラクチャー強化事業」を社会科学研究所とともにけん引している。

 

(3)共同研究

  共同研究拠点としては文系唯一の拠点として、①同所が研究課題を定めて所外共同研究員が参画する特定共同研究、②課題を公募する一般共同研究などがあり、これまでに250件、1100人と共同研究の実績がある。

  未発見の資料を掘り出し、現地に貢献、人材育成につなげるほか、災害の激甚化・過疎化により資料の存続深刻化を改善している。

  たとえば、次のような例がある。伝統と革新の協奏。顕微鏡写真により文書の和紙を分析し、ゲノムからでんぷん産地を特定するなどの伝統と革新の協奏。神奈川県立金沢文庫や京都お酒神社など国内外機関との連携。柳川市との大友氏文書に関する連携など。

 

3.記録学としての日記(尾上先生のご専門のひとつ) 

 

(1)平安期の日記

  日本には、非常に多数の日記が残っていて、世界でもまれ。

  奈良時代には一般的ではなかったが、平安時代には、まとまった日記が書かれるようになり、西暦1000年代からは飛躍的に増加。中世以降は貴族から僧侶、武士などに広がった。

  藤原道長の日記「御堂関白記」は平安中期に記されたもので、現存する原本としては日本最古。その原本は京都市の陽明文庫に所蔵されている。道長により、汚い字で追記したり、塗りつぶされたりした跡などがある。

  [ほーっ、「光る君へ」の道長とは、ちょっと違うキャラか? なお、平安のカレンダーには、現在残っている大安、吉日など以外にも多くの意味がかかれていたそう。]

 

(2)なぜ日記を書いたか

  平安貴族にとっては、日記は「しきたり」に近い。いわば、歯磨きと同じように、昨日のことを忘れないよう記すべし、とされていた。彼らにとっては、先例通りの正しい作法を守ることが重要であったため、家格(官職を子孫が継ぐ)のために、記録を残すようになっていった。いわば先祖代々のデータ資料の一つとして、後に子孫や他人が見てわかるよう、日記とは言え自分の名前を記載していた。

  [うん、これは「光る君へ」の世界観!]

 

(3)近衛家の例

  近衛家は、平安から近代にいたるまで、政治の中心にいた家系。先祖は藤原鎌足で、摂関家の筆頭だった。 当時、一日の記載が通常2行であったところ5行あって、最高級の日記であった。単なる日記ではなく、参考になる手紙や書きつけ等を、巻物の日記を切断した中間に糊で貼り合わせて織り込むこともあった。南北朝時代からから応仁の乱の直前にかけて、日記の大きさが小さく変化している。縦30センチから半分にして、戦乱に備えて持ち出しやすくしたものと考えられる。

  近衛家では、親から教えられて数え10歳くらいから日記の練習がはじまり、歳とともに書き方も成長している。

  先例を踏襲した例としては、公式の場では赤色の上着を着るのが先例であることを代々の当主の例(250年前から調査された)を踏襲している。また、28代当主は、祖父の祝いに700年前の調査をした。

  [京都御所の火事の際には、抱えたまま池に飛び込んで大切な祖先の日記を助けたとか。そこまで大切にしてたんだね。]

 

Ⅱ.史料見学

 

  [その後、2班に分かれて、史料そのものの見学。筆者は第二班で、まずは、講義のあった会議室で、遠藤先生から主に二つのレプリカを中心に丁寧に教えていただいた。見学だけでなく、レプリカなので「おさわり」もOK。]

 

1.織田信長の書状

  [祐筆が書いたものに花押。名前はとても読めない。]

 

2.豊臣秀吉の刀狩令

  [信長の書状より、大きくて紙質も厚い。「秀吉が権威を誇るため、製紙の難しい大型紙でしかも厚いものを使用した」と教えていただいた。そんなことで権威を示すんだ!]

 

  [第一班と交代でいよいよ原本の見学]

 

3.さまざまな日記の原本

  [大型の長机のうえに、ずらっと並んだ原本。こうなると歴史に疎い筆者には、ほとんど理解不能。前述の糊で貼り込んだ跡や、並んでおいてある絵の模写が正確でシミまで再現している、のだけは納得。]

 

Ⅲ.見学後の質疑応答

 

Q1.古文書における自然災害の記録は?

  大日本地震研究会として、地震研とともに共同研究中。特筆すべき例としては、超新星の爆発に関する重要な記録が藤原定家の日記にしるされています。

 

Q2.倭寇との闘い等、海外の資料はどうか。

  欧州使節、バチカンなどの文書を和訳して載せている。欧文材料は、かなり早く戦前期から集めている。

 

Q3.近衛家の日記について、今後はどうするか。

  仁和寺近くの陽明文庫にまとめて保管されている。近代~現在のものとしては、総理大臣をつとめた文麿の手帖が残されている。彼の別邸は東京杉並区にある荻外荘(てきがいそう)として公開されている。ここは、文麿の父、篤麿も住んだ。

 

Q4.採録をカメラでおこなうとレンズのひずみがある。これを避けるためスキャナーの使用はどうか?

  カメラによる採録は、1992年からはマイクロフィルム、20年前から5メガレベルの電子ファイルに。一方、スキャンは絵図など大きなものを対象にする場合に使い、セットを組んで撮影している。今後も適切な方法を常に模索していく。

 

Q5.字の解読をパターン化、現代訳のAI化、などはどうか?

  試みはいろいろあり、精度向上の途中である。近世は、パターン化しているので、比較的やりやすいが、明治期は地域差、ボキャブラり増大、などがあり、難航する。AIの進歩は学習によるので、過去のデータの学習はこれから。

 

Q6.出版書籍は、どのくらいの部数発行か?

  現在は多くても700冊、一昔前は1000冊。デジタル公開しているので、そちらのアクセスが多い。書籍一冊当たり1万何千円程度の価格。

 

Q7.敗者の歴史も含めて、集めるのか。

  当所は歴史を書く機関として発足した。そのため、例えば、水戸徳川家の大日本史のように、勝者としての評価が入ってしまうことを避けている。そのため、当所は研究の材料になるものを集め、出版することに専念している。次の段階であるところの「研究」は各機関に任せる、と考えている。

  [ということで、先生方にも入っていただいて玄関前で記念撮影!]

 

Ⅳ.総合図書館見学

  〔今度は三班に分かれて、総合図書館の見学。〕

 

1.一階の記念室

  [おー、勉強している学生が多数。で、ここは静粛に。昨年10月のホームカミングデイでご登壇の川添先生に講演いただいた2017年改修のご苦労談がよみがえる。英国王から送られた鹿のはく製や床の組木は改修前のものをそのまま使用、窓枠は形そのままに鉄製からアルミに材質変更、そして、天井のシャンデリアはすでに失われていたので写真を元に作り直したレプリカで内部はLED照明に。]

 

2.三階ホールと大閲覧室

  [懐かしや赤じゅうたんの階段を上がると、ホールにはユーゴーやパスツールの胸像。ちょっとした美術館風。大閲覧室でも学生が多数勉強中で、静粛、静粛。]

 

3.正面玄関前

  [大型のベンチは関東大震災で崩壊した前身図書館の基礎だそうだ。正面には円形の噴水、これは改修前と同じだが、底はアクリル板製に変わっていて地下の新図書館の明かり取りに。この下に数十メートル深さの大所蔵庫があるらしいが、残念見学者はお断りとの事。]

 

  [最後になりますが、多忙な年度末の休日にもかかわらず、赤門技術士会見学会に多大なご協力をいただいた、史料編纂所の尾上陽介所長、遠藤珠紀准教授の皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。]

 

(赤門技術士会幹事 萩野 新)